第25回「猿ヶ石、蓮華淵の子守唄」

「猿ヶ石、蓮華淵の子守唄」

 「市民の舞台」は昭和51年から休むことなく公演し、2000年の2月公演で25年間を参加者と市民センター職員の和で作り続けてきた。
 応募の中から1原案を選定して、脚本検討委員会が脚本を仕上げることだったが、作業が進まず結局、制作委員の一人が書き上げた。演出は脚本にも関った委員の中から選び、制作委員の半数以上が現場に入ってともに行動した。出来あがった脚本は人間の自然へのおごりと畏怖を劇に織り込み、愛憎の人間模様をじっくりと表した。舞台表現の新しい形として映像媒体を追加し、さらに創作に入念な工夫を施した舞台となった。
 キャストとして参加した仲には60歳を超える者もあり、幅広い年齢層が集まっての活動で和やかに進んだが、インフルエンザが猛威を振るった年となり、全員がそろうことが出来ずに準備と練習が遅れる事態が発生した。公演に間に合うのかと心配が出てきたが、舞台を完成させようとする参加者の熱意が最後まで途切れることなく、遂に公演本番へとたどり着かせたのだ。

第26回「跳れ八十八」

「跳れ八十八」

 前回で25回という4分の1世紀を中断することなしに継続して進めたが、今回は応募作品に適当な採用作品がないということで、ファンタジー制作委員会の会合の席上で制作委員のひとりを指名し、示された作品を全会一致で公演作品と決定した。併せて演出は往年のコンビでと、すぐに決まりスタートした。
 そこには、例年のとおりバレエスタジオと少年少女合唱隊出演と郷土芸能の東禅寺しし踊り保存会や今回の舞台地域である附馬牛の常福院花園会御詠歌のみなさんのご参加をいただいて盛り上がった舞台となった。
 大道具と小道具を一緒にして道具として組織を立て直し、裏方の仕組みに工夫しながら取り組んだ。人が人を呼び、前回とは一味違った舞台となった。
 11月3日に岩手日報社から文化賞社会部門を受賞し、練習開始前に受賞祝賀会の開催準備に追われることがあり、鳥附が例年より遅くなったが、情熱は途切れえることなく、開局直前の遠野テレビの事前告知番組放送やCM方オスが後押しするなどついに公演を成功させた。

第27回「平太、何処に・・・」

「平太、何処に・・・」

 例年とおり原案を一般公募し、数点の応募があったが、採用作品がなく、脚本小委員会を立ち上げ、綾織地区に住む昔話の詳しい方々から、聞き取りをしながら原作を組み立てていった。
 郷土芸能を地元石神神楽に依頼。幻想のシーンで演目「山ノ神舞」を舞台上で見事に演じてもらった。夏場から制作委員の数人が青笹小学校に出向き演劇指導をし、その子どもたちが舞台を盛り上げてくれたことは新しい方向を見出せた一つでもあった。
 舞台は、貧困ゆえ山に捨てられたばあさまが、打出の小槌の効力で裕福な暮らしをするようになるが、富より家族の元に帰るという。「家族愛」が来場者に強く印象付けられた作品となった。

第28回「はっけよい弥助」

「はっけよい弥助」

 青笹町を舞台とした原案を募集した結果、3つの応募作品があり、その中から聴耳草紙に出てくる力士「荒滝」をテーマにした、主人公の成長と恋の物語が採用となった。脚本は原案者が制作することになり、演出には制作委員の一人が手を上げた。これまでとはまた一味違ったアイデアがいくつかあがり、現場は活気付いた。
 舞台づくりは“明転”を基本としたものとなった。大道具は回転舞台セットを作り、3方向から使えるようにし、本番では明転の中、黒子も役者の一人となり舞台を回転させた。キャストとしての黒子も狂言回しのように振舞うなど今までにない演出がされ、本番では観客を沸かせた。
 音楽もこれまではベテランが多くを作ってきたが、今回は初めての人も必ず一つ作曲するなど、今後の後継者育成にも繋がる新たな試みが行われた。
 手探り状態で制作を続けてきたスタッフ・キャストの苦労が報われるかのように、会場からは拍手が沸き起こった。

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