第5回「黄金の牛」

「黄金の牛」

 「市民の舞台」運動が文化活動の面からさらに地域づくり運動と結合していく転機として「黄金の牛」の取り組みが注目される。小友町の金山伝説の舞台化とあって、地区の人たちが積極的に参加協力した。役者のほかにしし踊り、神楽、謡曲、裸参り、そして大工さんたちが大道具作り、老人クラブがワラジ作りなど、正に地区をあげての協力であった。
 音楽を重視する演出方法を取り入れ、9人の作曲グループの力作によって新しい舞台作りがなされた。場面の転換には独唱を入れ、謡曲をバックに日本舞踊、市民バンド、遠高吹奏楽部、ママさんコーラス、エレクトーン、シンセサイザーなど約140人、29曲の生演奏が舞台を盛り上げる。
 落盤シーンをダイナミックに、とボイラーから蒸気を引きドライアイスと併用して効果をあげる。単なる「演劇公演」ではなく、キャスト、裏方、演奏そして観客の四者が一体となって創り上げる「市民の舞台」が実現し定着したのである。

第6回「母泣き明神」

「母泣き明神」

 松崎町矢崎地区に今も残っている母也明神がテーマとなり9月の企画委員が現地調査をし、古老から説明をうける。先人の自然との闘い、「人柱」など無残な生きざまをリアルな手法で舞台化しよう、と色々な創意が出される。本物の水を舞台の上に流そう。水道幸治の部プロが水中ポンプを持って参加しテストが毎晩つづく。さらに木流しの場面では「宙乗り」をということになり、客席の上にワイヤーロープを張る。これにも木材業や消防のプロが参加してくれた。
 松崎地区も盛り上がった。婦人会や区長会が毎晩練習会場に差し入れを行う。老人クラブも100足のワラジを創り、そして矢崎地区では50万円も出し合って古くなった明神の祠を新築する。参加者も奮起し演出を中心に各パートが組織的に準備が進む。「市民の舞台」のねらいは、本番当日もさることながら、準備の過程が大切である。カーテンコールで参加者の眼に涙が光っていた。

第7回「十五夜のむじな堂」

「十五夜のむじな堂」

 市民センター開設10周年記念事業として、12月に遠野物語をモチーフに創作バレエ「おしらさま」を製作公演した。東京のスターダンサーズ・バレエ団と地元のバレエスタジオそして裏方や演奏には「市民の舞台」関係者が参加し、プロの市民との共作であった。2回公演とも満席で好評であった。
 並行して「市民の舞台」も進められた。舞台は上郷町の曹源寺で、前年同様に地区の人たちが積極的に協力してくれた。青年会、若妻学級、婦人会、老人クラブなど創意ある参加である。中でも、念仏剣舞が舞台出演を機に復活しようと、地区で寄付集めや練習に取り組んだ。天から滝のように流れ落ちる“水明の術”では本物の水を使い天界の様子は「バレエ」で表現、むじなが舞台で宙返り、正にスタッフとキャスト、演奏とのタイミングの勝負である。ラストシーンの和尚の合掌は、永眠された工藤千蔵氏(第3代遠野市長)のご冥福を祈るようでもあった。

第8回「石仏の音」

「石仏の音」

 市内旧町村一巡の最終公演ということで、5月から準備に入り、企画委員会、脚色講習会、舞台美術講習会を開催し、策円を上回る舞台をめざすなど、関係者の意気込みはすさまじかった。
 「木もれ日につつまれて、眠る、石の悲しみ」 と、原作の菊池京子さんがコメントしているが、作品は遠野郷の歴史に深くきざまれている。「天明の大飢饉」、そして、餓死者を追悼するために、大慈寺第19世義山和尚が設営した「五百羅漢」を舞台化した。正に市民の舞台が追い求めてきた、先人の生活と「遠野物語」の背景にあるもの・・・・・その一つの区切りにふさわしい内容であった。
 音楽を重視する演出、キャストの熱演が光った。また、町方を代表する南部ばやし、「上組町南部ばやし」の優雅な舞いは、豊年万作を願う心情を表現し、感動の中で幕が下りた。

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