イタリア共和国・サレルノ市との姉妹都市交流について
イタリア共和国・サレルノ市との姉妹都市提携解消について
遠野市はサレルノ市と、1984年8月8日に姉妹都市提携を締結して以来、文化交流などの分野において交流を深め、2024年8月8日には、姉妹都市提携40周年を迎えました。
しかしながら、時代の流れとともに両市を取り巻く環境が大きく変化し、行政間の交流は長らく途絶えた状況が続いていました。
このような状況を踏まえ、今後の両市の友好と発展に資する姉妹都市交流のあり方について、遠野市からサレルノ市へ協議を申し入れましたが、現在に至るまで回答が得られることはありませんでした。
遠野市では慎重に協議を重ねた結果、これまでの状況を鑑み、残念ながら令和7年3月27日をもって姉妹都市提携を解消することといたしました。
ただし、本解消はあくまで自治体間の関係に関するものであり、両市民間の交流は、相互理解促進のため、本件とは切り離して取り組むべきであると考えております。
市民の皆さまにおかれましては、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
長年にわたり、遠野市とサレルノ市との友好関係にご尽力いただきました皆さまには、心より感謝申し上げます。
サレルノ市の概要
イタリア21州の中の一つであるカンパニア (Campania)州の州都ナポリの東南約60キロメートル。景勝地であるアマルフィ海岸(Costiera Amalfitana)の片端。
※アマルフィ海岸線(ソレントからポジタノ及びアマルフィなどを経てサレルノに至る海岸線)
人口は約13万人でサレルノ県の県都。
紀元前7世紀にギリシャの植民地として、さらに紀元前194年には、ローマの植民地となる。7~8世紀に北ヨーロッパの一族であるロンゴバルド族が侵住、公国となる。
1076年にナポリ王国の首都となる。11世紀には学術研究、特に医学につき欧州全域に名が知れ渡る。事実「サレルノ医科大学(Sucuola Medica Salernitana)」は1050年設立で、欧州で最古の医学校である。
サレルノの医学校は1817年まで続いたが、ノルマン支配下の12世紀に最も盛んであった。このような歴史を反映して、9世紀建設のカテドラルをはじめ、史跡に富む。
また、第二次世界大戦時の1943年9月5日未明に米軍がサレルノ湾から上陸、ドイツ軍を打破した。
現在のサレルノは、周辺の豊かな農業地域の中心地であり、マカロニなどの食料品工業も盛んである。県庁所在地であり、師範大学がある。
陶磁器(セラミック)が有名。サレルノ市の近郊農村では、野菜や果物を栽培している。
サレルノ市は、海岸線沿いの現代的な部分と、8世紀にアレキ王子が再建した城がそびえる丘の部分(中世風)に大別される。
交流の経緯
きっかけ
- 岩手放送(株)が開局30周年記念として製作した映画『遠野物語』(村野鐵太郎監督)が第35回イタリア・サレルノ国際映画祭においてグランプリを受賞しました。
- この映画を観た当時のサレルノ市長アルベルト・クラリチア氏が、是非、遠野市と姉妹都市になろうと村野鐵太郎監督に親書を託したことがきっかけとなりました。
経緯
昭和57年10月24日 | 映画『遠野物語』が第35回イタリア・サレルノ国際映画祭でグランプリ受賞。 |
昭和57年10月25日 | サレルノ市長が遠野市との姉妹都市締結をしたい旨の親書を村野鐵太郎監督に託す。 |
昭和57年11月10日 | 村野鐵太郎監督来庁、親書を市長が受領する。 |
昭和57年12月24日 | 遠野市長からサレルノ市長に返礼の手紙を送付する。 |
昭和58年2月15日 | 村野監督を講師に招き「イタリア・サレルノ市の状況を聞く会」を開催する。 |
昭和58年3月19日 | 「姉妹都市の締結について」を市議会で満場一致で可決。 |
昭和58年4月8日 | 遠野市長が、駐日イタリア大使を訪問、サレルノ市との姉妹都市提携についての経緯と計画の概要を報告し、今後の対応を要請する。 |
昭和58年7月28日 | 遠野市長が外務省情報文化局を訪問し、サレルノ市長へ書簡を託し、今後の協力と調整を依頼。 |
昭和59年8月8日 | サレルノ市友好使節団が来遠し、姉妹都市提携調印式及び交歓会等を挙行。 |
交流事業(主要事業)
昭和59年8月 | サレルノ市友好使節団が来遠 10名 |
昭和60年4月 | 第1回遠野市答礼使節団がサレルノ市を訪問 14名 |
昭和62年9月 | サレルノ市親善使節団が来遠 16名 |
昭和63年10月 | サレルノ市へ職員派遣(10カ月) 1名 |
昭和63年11月 | 第2回遠野市親善使節団がサレルノ市を訪問 15名 |
平成2年9月 | サレルノ市親善使節団が来遠 42名 |
平成3年9月 | サレルノ市からイタリア料理コック及びサッカーコーチを招へい 3名 |
平成3年10月 | サレルノ市から室内楽団(三重奏)来遠 4名 |
平成4年5月 | サレルノ市からプロのコックを招へいし、料理教室開催 1名 |
平成4年10月 | 第3回遠野市親善使節団がサレルノ市を訪問 43名 |
平成6年12月 |
サレルノ文化特使団招へい・姉妹都市締結10周年記念式典開催 14名 |
平成9年1月 |
サレルノ市へ親善交流訪問(遠野高校サッカー部等) 34名 (財団法人遠野国際交流協会主催事業) |
平成9年11月 |
市民親善訪問サレルノ市へ公式訪問(サレルノ国際映画祭50周年) 12名 (財団法人遠野国際交流協会主催事業) |
平成12年10月 | サレルノ県へ民俗芸能使節団派遣(飯豊神楽保存会、遠野物語研究所員ほか) 14名 |
平成13年7月 | 遠野ふれあい交流センター「あえりあ遠野」オープンを記念し、サレルノ市からイタリア料理コックら招へい 10名 |
平成14年11月 | 民間の交流グループ「トネーゼ」主催により、市民がサレルノ市を訪問、市役所訪問、映画祭出席等を行う 36名 |
平成15年10月 | イタリア・サレルノ市訪問親善使節団がサレルノ市等を訪問 52名 |
平成16年8月 | 姉妹都市締結20周年記念式典・映画「遠野物語」上映会開催(市民センター大ホール) サレルノ市親善使節団来遠 11名 VIVA ITALIA FESTA開催(あえりあ遠野交流ホール) |
平成17年4月 | サレルノ市へ剣道指導者(遠野剣道会等)を派遣 11名 |
平成17年11月 | 2005ナポリ・ジャパンウィーク&サレルノ市訪問団 59名 |
平成19年4月 | サレルノ県経済交流ミッション(在日イタリア商工会会頭等一行6名)が来遠、ワサビビールを中心に商談を行う 6名 |
平成20年2月 | イタリア・ダイジェスト&姉妹都市サレルノ市訪問ツアーを実施 12名 |
平成20年4月 |
サレルノ市民訪問団が来援 18名 |
平成21年11月 |
姉妹都市締結25周年記念事業 19名 姉妹都市締結25周年に当たり、サレルノ市を訪問し、交流を深めるとともに、30周年に向けて今後の交流を協議。また、平成22年に遠野物語発刊100周年を迎えることから、昔話の「語り部」を同行し、遠野の「語り」の文化と「永遠の日本のふるさと遠野」を海外に発信する。 |
平成24年3月 | 遠野市と在イタリア日本国大使館との共催事業「地方の魅力発信プロジェクト」により、細越獅子踊り保存会がマルセイユ、ローマ、サレルノで公演 19名 |
平成26年6月 |
姉妹都市締結30周年記念事業 51名 市民訪問団がサレルノ市等を訪問 |
平成28年3月 | 産業交流事業 イタリア・サレルノ市場調査のため、上閉伊酒造(株)社長等一行がサレルノ市を訪問 5名 |
平成30年11月 | 第72回サレルノ国際映画祭に出席『オシラ鏡』 7名 |
令和元年10月 |
姉妹都市締結35周年記念事業「サレルノ祭り」開催(あえりあ遠野)
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令和元年12月 | 姉妹都市締結35周年記念事業サレルノ訪問市民ツアー 15名 |
交流人数(令和6年4月1日現在)
サレルノ市への訪問者数 | 421名 |
サレルノ市からの来遠者数 | 148名 |
合計 | 569名 |
■イタリア共和国・サレルノ市についてはこちら
(外部ページにリンクします。なお、イタリア語のページとなっています。)